各作品を紹介する前に、私自身が写真をやめ禅の修行を始め、ニコルがスイスからやってきて一緒に生活をし始めた頃の様子を当時の記念写真でまとめた動画を自己紹介の一つとして掲載します。


       Self-Portrait  (貰った背広 1973〜85)

 

 密着焼きの中の孤高の“青春”   

   『十余年にわたるセルフポートレートの集成である。十代の後半から三十代にいたる自写像は、そのまま作者の精神の軌跡となっている。

  一人旅した宿の、一人旅にはやや不向きな広い部屋の壁にもたれかかった自写像。

     鏡の中の少年の面影。窓際に立った疲れのにじんだ、かげりのある表情。海辺の散策・・・・。

 それらを見ていると、ふと『青春とは巨大な秩序の嘲笑に燃えつきた記憶』というだれかが書いた一節が思いおこされてきたーーーー。

 しかし、ここには私小説のような自己撞着がない。私写真のようなレトリックもない。自分を理解できるのは自分だけだという

    その精神の光り輝く精神の時期、そのまっすぐな気持ちをそのままフイルムに密着焼きしたような作品である。

    孤独でだれをも介入させぬ厳しさの印象がつよい。私はこの作品の深い世界に感動した。』

  (*この写真評は1986年7月東京オリンパスギャラリーで行なった写真展の柳本尚規氏による記事でアサヒカメラ9月号に掲載されたもの)    

 


 Susan in Japan (1979〜80 ) 京都 Kyoto

   1978年英語教師をしながら京都に住み始めたばかりのスーザンに出逢った。

 西洋の女性にわが国の古都で出会うという出来事は、北海道の片田舎で育った私にとって目眩のするような二重のカルチャーショック

 であったはずだが、畳の生活をごく自然に受け入れていく彼女の姿を見ている間に、何時とは知れず『静寂』という日本伝統文化の

 奥に横たわる世界に安らぎを感じ始めている自分がいた。

 それは同時に、私の『アイデンティティー』という聞き慣れないモノをゆり動かす出来事となった。

 

     芭蕉と名付けられた猫と西洋の女性がむかし郭(くるわ)であった家を借りて住み始めた・・・そこで一句

 

          やまとでは 猫も句を詠む 初春かな 猫の細道 梅に尋ねて : 一撮  

 


     Ave Maria with your child  神戸のマリア  ( 1971 )

 

  1974年に撮影したモノクロネガを40年後の2014年にデジタル化してPhotoshopで彩色したもの。

  大好きな王子動物園の帰り道に初めてこのマリア像に出会った。

  マリア像は海星女子学院の屋上に設置されたもの、テーマとして2年間撮影。卒展に出品、芦屋芸術学院・院長賞受賞


  こんにちは日本 Kon-nichiwa Nippon (1972〜82

 

 この写真は1972年頃から82年の初期の作品で、主に神戸で撮ったスナップ写真である。

 当時私は灘区にある牛乳屋に住み込みしながら写真学校(芦屋芸術学院)に通っていた関係で、牛乳代集金の際に年配のお客さんの写真、学院祭の   学生の写真、英語の先生、六甲山ゴルフクラブでキャディのアルバイトした時の仲間の写真、古本屋のおばさんなど私自身の生活の記録であり

 私の写真の原点的作品である。

 作品にまとめたのが、スイス在住してからであったのでタイトルもこのようになった。

 


連写・ショートストーリー /  5 話  (こんにちは、日本)より

 

1 荒川家のルミちゃん1975年、写真学校を卒業し故郷、北見市の郊外荒川家に玉ねぎ収穫のアルバイトをした際、ルミちゃんに出会う。

 

2 姉弟1973年、ボクが住込みで働いていた牛乳屋(灘区六甲)そばの公園での一幕。

 

3 The Golfer1973年、通っていた芦屋芸術学院から海に続く芦屋川沿いでの風景。今頃は偉大なゴルファーになっているに違いない。

 

  Bench1975年、奈良公園に行った際、遠くからこの風景を見て思いついたイタズラ写真

  

5 I shot, too :  1974年、灘区をいつもカメラを持って徘徊していたおじいさん、いまで言う軽い『認知症』だったのだろうか。  


  写詩雲『 Photoème  』

 

写真が銀塩だった時代、『写俳』という俳句と写真の融合はすでにあった。しかし、デジタル時代をむかえこの融合は決定的になった、だけではなく写真史において画期的出来事として社会に広く認められる日はそう遠くではないと、ボクは確信している。今や人々はスマートフォンで文を書き、写真を撮る時代に、思いの丈を写真に書き刻むうえで俳句とか短歌の七五調という『定型』を持つ日本文化はなんて素晴らしい!・・・と、誰もが思い至る日がもう目の前に来ているのだ。

ボクの俳句歴は2011年にスマートフォンを買い、ツイッターで俳句をツイートするところから始まった…

              『 ツイて来い 亀の歩みで 待ってるで… 』 一撮


The Kanji-World  不立文字(ふりゅうもんじ)2010年

 

『森(自国文化)を認識するには、森を離れよ』というのでアルファベットの国まで来てボクはいまその森を振り返って眺めている。

  ここでいう『Kanji』という言葉は二通りの意味がある。

 その1〜 表意文字として中国や日本で使われている漢字の意であり,一目見ただけでその意味を感じとれる文字の意。

 その〜 Kanjiと発音するFeeling という意味の日本語『感じ

            ボクは『写真』にこの『Kanji』の特性を見る、と同時に物事の真髄は

   文字や言葉では伝えることが出来ない・・・という禅的『直感』視点から

   即今の風景『不立文字』を妻の日常を切り撮って、ここに印す。(2012年)

 


Good-bye New York  1985

 

約24年間、ネガボックスに眠っていたニューヨークの写真を2009年にデジタル化して起こしてみた。

長年憧れの街だったNYに永住覚悟で渡米したのがボクが33歳の時。

期待と現実の狭間に林立する高層ビルは、密林のシャングルそのもので

ボクは行くべき方向を見失ってうろたえたはずだが、当時は自分が迷子になっていることすら気付いていなかった。

一年間滞在して撮ったN.Yの写真を放置していたのも、まとめ上げるべきテーマなど見い出せないと信じていたから。

しかし長年の後、あえてまとめてみた時『迷い』が写っていることに気付いた。

別な捉え方をすれば、混迷のジキがボクを『迷いの森』に追い込んでいたのだと思う。

ニューヨークで迷っていたのはボク一人ではなかったのだ,街も人々も時代も何もかも迷っていたのだと…